曼荼羅・マンダラ
曼荼羅と創造原理

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大日如来と創造主「神」
大日とは太陽を遙かに上回る光ですべてを照らすことを意味しています。

密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。
また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、
釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。


大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、
諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。


大日如来は、白蓮華に坐して瞑想を行っている姿で、両界(胎蔵界・金剛界)マンダラの中心に描かれます。

大日如来は宇宙の真理を表すとされ、また宇宙そのものとされます。

そして、全てのものは大日如来から出生するとされる。

つまり、一切のものは大日如来に胎蔵されるのであり(胎蔵界)、
また一切のものは大日如来の堅固な智の顕現でもある(金剛界)とも考えられる。

 
私たちを含め全てのものは大日如来によって生じ、大日如来に含まれるということです。

ですから全てのものが大日如来であり、私たち凡人でも即身成仏ができるのです。




この大日如来の存在は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、統一教会における創造主である「神」と大変似ていると感じます。

思い出すのが聖書の言葉


初めに言葉があった。

言葉は神と共にあった。

言葉は神であった。

この言葉は、初めに神と共にあった。

万物は言葉によって成った。

成ったもので言葉によらずに成ったものは

ひとつもなかった。

言葉のうちに命があった。

命は人間を照らす光であった。

光は暗闇の中で輝いている。
     

 (ヨハネ福音書 1:1~1:5 )


聖書には、「神」は「ことば」であり、「光」であると述べられています。


そして、統一原理によると、神は、全ての存在の創造主であり、全ての存在に偏在すると書かれています。
「ことば」とは、「真理」のことであることを考えると、
大日如来と、創造主である神の存在と、ぴったり一致すると思うのです。

私達人間の中にも神は遍在しており、人間一人一人に神の神性が宿っており、
堕落性に満ちている我々でも、神に近づく道があると、統一原理でも述べています。




また、そして「イエズス会」が日本に渡航し、キリスト教を日本に広めるにあたり、
神、デウス(ゴッド)の日本語訳として「大日」が選ばれました。


両界曼荼羅


両界曼荼羅(りょうかいまんだら)は、密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現したものである。大日如来を中心とした数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵曼荼羅」(胎蔵界曼荼羅とも)、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」と称する。個々の「仏」の像を絵画で表わしたもののほか、1つの仏を1文字の梵字(サンスクリットを表記するための文字のひとつ)で象徴的に表わしたものもある。



両界曼荼羅の起源と日本伝来

胎蔵曼荼羅は「大日経」、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」という密教経典をもとに描かれている。大日経は7世紀の中頃、インドで成立したものと言われ、インド出身の僧・善無畏(ぜんむい、637年 - 735年)が弟子の一行(いちぎょう、683年 - 727年)とともに8世紀前半の725年(開元13年)前後に漢訳(当時の中国語に翻訳)したものである。一方の金剛頂経は7世紀末から8世紀始めにかけてインドで成立したもので、大日経が訳されたのと同じ頃に、インド出身の僧・金剛智(671年 - 741年)と弟子の不空(705年 -774年)によって漢訳されている。なお、金剛頂経は、十八会(じゅうはちえ)、つまり、大日如来が18のさまざまな機会に説いた説法を集大成した膨大なものであるが、金剛智と不空が訳したのは、そのうちの初会(しょえ)のみである。この初会のことを「真実摂経」(しんじつしょうぎょう)とも言う。

いずれにしても、「大日経」と「金剛頂経」は同じ大日如来を主尊としながらも系統の違う経典であり、違う時期にインドの別々の地方で別個に成立し、中国へも別々に伝わった。これら2つの経の教えを統合し、両界曼荼羅という形にまとめたのは、空海の師である唐僧・恵果(746年 - 805年)であると推定されている。恵果は、密教の奥義は言葉では伝えることがかなわぬとして、唐の絵師に命じて両界曼荼羅を描かせ、空海に与えた。空海は唐での留学を終えて806年(大同元年)帰国した際、それらの曼荼羅を持ち帰っている。

空海が持ち帰った曼荼羅の原本は失われたが、原本に近いとされる模写が、京都・神護寺所蔵の国宝・両界曼荼羅(通称:高雄曼荼羅)である。なお、神護寺の曼荼羅は着色本ではなく、紫色の綾に金銀泥で描かれている。


胎蔵曼荼羅の構成

胎蔵曼荼羅は、詳しくは大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅と言い、原語には「世界」に当たる言葉が入っていないが、古くから「胎蔵界曼荼羅」と称されている。 曼荼羅は全部で12の「院」(区画)に分かれている。その中心に位置するのが「中台八葉院」であり、8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に胎蔵界大日如来(腹前で両手を組む)が位置する。大日如来の周囲には4体の如来(宝幢-ほうとう、開敷華王-かいふけおう、無量寿-むりょうじゅ、天鼓雷音-てんくらいおん)と4体の菩薩(普賢菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、弥勒菩薩)、計8体が表わされる。
外金剛部院・文殊院・地蔵院 ・釈迦院・除蓋障院 ・蓮華部・院 遍知院 金・剛手院 ・中台八葉院・ 持明院 ・虚空蔵院・
蘇悉地院

中台八葉院の周囲には、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地(そしつじ)院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障(じょがいしょう)院、が同心円状にめぐり、これらすべてを囲む外周に外金剛部(げこんごうぶ)院が位置する。これは、内側から外側へ向かう動きを暗示し、大日如来の抽象的な智恵が、現実世界において実践されるさまを表現するという。

さらに、胎蔵曼荼羅は、中央・右・左の3つのブロックに分けて考えることが必要である。 図の中央部は大日如来の悟りの世界を表わし、向かって左(方位では南)には観音菩薩を主尊とする蓮華部院、向かって右(方位では北)には金剛薩埵(こんごうさった)を主尊とする金剛手院がある。蓮華部院は如来の「慈悲」を、金剛手院は如来の「智恵」を表わすものとされている。


金剛界曼荼羅の構成
胎蔵曼荼羅の各ブロックを「院」と称したのに対し、金剛界曼荼羅では「会」(え)という語が使われ、成身会(じょうじんえ)、三昧耶会(さまやえ)、微細会(みさいえ)、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会(ごうざんぜえ)、降三世三昧耶会の九会(くえ)から成る。これは9つのブロックと考えるよりも、9つの曼荼羅の集合体と考えるべきである。
四印会 ・一印会 ・理趣会 ・供養会 ・成身会 ・降三世会 ・微細会 ・三昧耶会 ・降三世・三昧耶会

中心になる成身会の中尊は金剛界大日如来(左手の人差し指を右手の拳で包み込む「智拳印」をむすぶ)である。大日如来の東・南・西・北には阿閦(あしゅく)・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の4如来が位置する(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就を合わせて金剛界五仏あるいは五智如来という)。各如来の東・南・西・北には四親近菩薩(ししんごんぼさつ)という、それぞれの如来と関係の深い菩薩が配されている。

三昧耶会、微細会、供養会は中央の成身会とほぼ同様の構成をもっており、四印会はそれをやや簡略化したもの、一印会は他の諸仏を省いて大日如来一尊で表わしたものと考えて大過ない。曼荼羅画面向かって右の理趣会、降三世会、降三世三昧耶会のそれぞれの中尊は大日如来ではなく、理趣会は金剛薩埵、あとの2つは降三世明王が中尊である。菩薩の一員である金剛薩埵や恐ろしい形相をした降三世明王も、すべては大日如来の悟りが形を変えて現われたものであり、すべては大日如来一尊に由来するということを表現したものと思われる。

胎蔵曼荼羅が真理を実践的な側面、現象世界のものとして捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面、精神世界のものとして捉えていると考えられる。これは、胎蔵の字義が、母胎の胎内を表現しており、金剛の字義が、金剛石、つまりダイアモンドであることと関係している。






般若心経について


般若心経(はんにゃしんぎょう)は、大部からなる大乗教典「大般若波羅蜜経」の一部で、字数300字足らずの経典名。
大般若経600巻の総要といわれる。

般若教典群のテーマを「空」(くう)の一字に集約して、その重要性を説き、悟りの成就を讃える内容。ほとんどの大乗仏教では根本教典のひとつとして、宗派を問わず世界中でながらく読誦され信仰され続けている。

漢訳について

•西暦2~3世紀、インドの龍樹が『大智度論』を著す。般若心経はこのころ成立と伝えられる。
•最初の漢訳は、3世紀中央アジア出身の支謙によると伝えられるが、現存はしていない。
•鳩摩羅什が現存する最古の『般若心経』を中国語に訳出。この鳩摩羅什訳が『摩訶般若波羅蜜大明呪経(まかはんにゃはらみつだいみょうじゅきょう)』である。(玄奘がインドに赴く時に携えて行った般若心経は、この鳩摩羅什訳ではないかと考えられる)
•玄奘三蔵が『般若心経』を漢訳。この玄奘訳は読誦(どくじゅ)用として今日も広く用いられている。
•なお、 鳩摩羅什までの漢訳は古訳(こやく)、鳩摩羅什以降、玄奘までは旧約(くやく)、玄奘以降の漢訳は新訳(しんやく)と呼ばれる。
• 玄奘訳において、ほとんどの部分は漢語に意訳されているが、最後の「呪(じゅ)」つまり真言(マントラ)の部分だけは、サンスクリット語(梵語)の音を写している(音写)。


日本における般若心経 ・宗教

為政者 による信仰
歴代天皇の帰依、心経会(しんぎょうえ)

• 伝来時期、法隆寺に残るサンスクリット語写本
• 攘災の経典~疫病・飢餓、
• 鎮魂の経典~御霊会(ごりょうえ)、追善供養、


各宗派
日本の仏教各派、特に天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を重視しているが、浄土真宗と日蓮宗は般若心経を唱えない。(浄土真宗は南無阿弥陀仏、日蓮宗は法華経)

• 真言宗:空海は『般若心経秘鍵』をという注釈書を著した(818年ごろ)。
• 天台宗:般若心経を「根本法華」として信仰し、法要の時は必ず読む。
•曹洞宗では、般若心経を「日用経典」としている。
•臨済宗でも、般若心経は最もよく読まれている。
• 修験道では、修験者(山伏などの行者)は「行」のおり、般若心経を唱える。
• 遍路は「札所を打つ」とき、般若心経を唱える。
• 写経:一般によく写経されるのも般若心経である。


民衆
民衆にとっては、「空」と説く経典と言うより、むしろ、霊験あらたかな真言の経典として信仰されてきたと言えよう。
弘法大師空海は『般若心経秘鍵』の中で「観誦すれば無明を除く」としている。



写経について

写経(しゃきょう)とは、仏教において経典を書写すること、またはその書写された経典のことを指す。
宗教的行為・信仰的行為である。

写経は、印刷技術が発展していなかった時代には仏法を広めるため、またはひとつの寺院でも複数の僧侶で修行・講義・研究するために必要なことであった。その後、写経することに功徳があることが説かれるようになった。

中国では、六朝時代に写経が定型化され、隋・唐のころに盛んに写経が行われるようになった。日本では673年(天武天皇2年)に川原寺で一切経の写経が行われたのを創始とし、奈良時代には官立の写経所が設けられ、また東大寺などにも設置され、専門の写経生たちによって、国家事業としてに写経が行われた。平安時代以降は、仏法を広めるということよりも個人的な祈願成就など信仰のために行われるようになり、末法思想が流行すると写経した経典を経筒に納めて埋納する経塚造営が行われる。

また、亡くなった家族や知人の供養のために、生前に書き残した手紙などを漉返紙や紙背文書として用いて写経する例がある。前者の例として『日本三代実録』に清和天皇の没後に后の1人である藤原多美子が生前の手紙を漉き返して法華経を写経したと記録されている。後者の例として妙蓮寺所蔵の伏見天皇宸翰法華経が父・後深草天皇宸筆の書状を紙背として用いていることで知られている。

書写された経典を「写経」と呼ぶのに対して、宋代以降に盛行した木版印刷による経典の方は「刊経」と呼ばれている。

現代日本の各寺院では、写経と言えば、『般若心経』を写経することを信仰として指すのが一般的になっている。